精神医療?地域包括ケアの分野で、現場での実践と研究を重ねてきた近田真美子教授。
看護師としての経験を経て大学院に進学し、博士課程終了後、看護教員の道へ進みました。
2025年4月より大阪成蹊大学看護学部教授に着任。
看護の本質を考え、地域に根ざした看護実践を担う人材の育成に力を注いでいます。
今回は、これまでの歩みや研究、学生との関わりについてお話を伺いました。
これまでの経歴を教えてください。
大学を卒業後、精神科で約3年、消化器外科で4年働いていました。患者さまから感謝の手紙をもらっている、そんな看護師の母親の姿を見て、興味をもったのが看護の道を志したきっかけです。
病院で働いている当時、救急外来を担当することもあったのですが、既に手遅れの状態で到着する方を多く目にしました。そこから予防が大事ではないかと思うようになり保健師の資格を取るため、大学へ編入しました。
卒業後、修士課程に進学しながら大学教育の現場へ。その後、博士後期課程にも進み、看護教員になって15年以上になります。
精神医療に興味を持ったのは、学生時代のこと。受け持った患者さまが自分の父親くらいの世代の方で、統合失調症と診断されていました。発病の理由はリストラ。精神の病は、誰にでも起こり得ることを、深く感じたのです。
しかし、精神疾患というと、世間的には特別なものというか偏見をもたれやすく、病と闘いながら世間の目にも気を張らなければいけない、難しい病だと思いました。そういうケアの行き届きにくいところに携わることは大事なのではと思い、興味を持っていきました。
現在、どのような研究をされているのですか?
日本には、重度の精神障害者であっても、地域社会の中で自分らしい生活を実現?維持できるように、24時間365日支援するACT(包括型地域生活支援プログラム)というチームが20以上あるのですが、そこで働く精神科医や看護師といったスタッフの「実践を可視化」するための研究に取り組んでいます。
医師や看護師などの医療専門職は、経験を重ねていくごとに、プロフェッショナルとして、実践のレベルが高くなっていきます。すると、無意識に必要な処置ができるようになっていき、他の人から見ると、何をしているのか、なぜしているのかが理解しにくくなっていきます。それを第三者的に分析して言葉によって見える化させることを「実践の可視化」と呼び、研究しているのです。
例えば、精神疾患を抱えた患者さまが興奮状態になっているときに、薬物を投与するのではなく、神社のお札を使って落ち着かせたという事例があります。一見、意図も効果も分かりにくいですが、紐解いていくと、その患者さまは安倍晴明にシンパシーを感じていたので、心の拠り所として、安倍晴明と縁のある神社のお札を与えて、落ち着かせていたようです 。(?精神医療の専門性 「治す」とは異なるいくつかの試み? 近田真美子 医学書院 2024年 3月)
特に地域で治療を進める場合、病院のようにすぐに薬物療法というわけにはいかないので、患者さまの暮らしや文化、価値観、興味関心に合わせ、その方に最もふさわしい方法を選び、対処することが求められています。実践を可視化することで、地域での医療や次世代の方々の参考にもなるのではないかと考えています。
現在、高齢者の数が増加し、医療や介護の需要が高まっています。これに対応するため、要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを続けることができるよう、医療?介護?生活支援が、日常生活の場で一体的に提供される「地域包括ケアシステム」の構築を実現していく必要があります。
また、高齢化の状況や病院、介護施設の数などの社会資源は、地域によって異なりますので、それぞれの地域の実情に応じて「ご当地システム」として実現していく必要があるのです。
なぜ、「地域」での医療が重要なのですか?
日本の精神医療は、諸外国と比較しても病床数の多さ、入院期間の長さで群を抜いています。多くの先進国では、大規模な精神科病院での長期入院から、地域社会での生活を支援する方向へと政策をシフトさせているのですが、日本ではなかなか世界と同じようになっていないのが現状です。
そこには社会資源や退院後にケアする受け皿がない、文化的な側面など、さまざまな要因が絡んでいます。しかし医療?保健の専門家として、精神医療は障害?疾患を抱えた人も、地域で暮らすことのできる文化を醸成していくことが大事だと思っています。
そのための支援の一つがACT(包括型地域生活支援プログラム)です。本来であれば入院していても不思議でないようなレベルの方を対象にしているので、手間暇がかかるという意味では効率とは真逆にある世界ですが、その分、スタッフには高い専門性が必要です。
元々このACTは、1960年代、世界的な脱施設化の流れの中、アメリカで誕生しました。当時、ある病院で、多くの時間をかけてリハビリテーションプログラムを身に着けても、結果的に再入院となってしまうことを問題視し、地域生活に必要な訓練は利用者の住み慣れた場所で行う方が効果的であるという考えにいたり実現しました。
ACTをはじめ、精神医療を支えていくためには、患者さま一人ひとりの価値観を重視し、彼らの人生の良き支え手となれるような人材育成が必要です。そのためには、規範やルールを守るだけではなく、状況に応じて柔軟に変化する姿勢が大事かと思います。
そして、何が大事なのか本質を見極める力も必要だと思います。地域という場は、多様な価値観が渦巻く空間でもあるので、利用者さん一人ひとりの希望や考えに寄り添えるような支援者になるためにも、本質を見極め、何を選択するのがベストか柔軟に対応できることが必要なのです。
本質を見極める力を育てるためには、経験や知識も重要ですが、一つひとつの出来事をしっかりと振り返るということが大事です。 人から言われたことをただの作業としてこなすのではなく、それをなぜやるか、どうして必要なのかなど、考えていくことを積み重ねるのが必要だと思います。
だから私自身は、授業や実習でも正解がないことが大事だと思っています。正解がないから考える。学生と一緒に悩みながら、すぐに答えは見つけられないけれど、考え続けていくことを重視しています。
大阪成蹊大学では、どのような授業をされていますか?
専門である精神看護学という分野を教えています。例えば「精神看護学概論」という授業では、一般の人の心の問題、メンタルヘルスから始まり、障害を抱えた人たちへの理解、治療法、援助方法についての授業をしています。「心?精神とは何か」と考えることは、自分の心を理解する一つの助けにもなります。学生の場合、自分の中で葛藤があったり、なんだかモヤモヤしていたり。そういうときに授業を通して心がすっきりすることもあるようです。授業中は、対話をしながら進めていくことが多々あります。あるケースについて、この対応はどうだろうか、ベストなのか、他の方法があるのか。なかなか正解が難しい問題を一緒に考えていきます。
特に学生たちは、実習を経験するとより真剣に考えるようになると思います。授業で扱うような架空の事例ではないですし、生身の患者さまの話なので、いろいろと考えて行動をしても、 マニュアル通りにはいかないですから。例えば、本人は内服を拒否しているけれど、そのままだと調子が悪くなる。そういうジレンマのようなことは数多く経験すると思います。
そういった面でも、この年齢の学生たちは、伸びしろが大きいと思っています。特に大阪成蹊大学の学生は、さまざまなところにアンテナが張っているように感じています。先日も学生が「授業面白かったです」と話をしにきたり、「勉強になる本ないですか?」と聞きにくる学生もいました。感度が高く、多くのものに刺激を受けている学生は成長していくと思います。
医療?看護の分野に興味を持つ学生にメッセージをお願いします。
看護学生というのは、「学生」としてある意味、一般市民(社会)の感覚をもっています。そういった感覚をもった学生が、精神医療の現場に出入りするということ自体に大きな意味があるのです。
実習先でもある精神科病院には、閉鎖病棟のような制限のかかる空間もあるのですが、そこで学生たちが、自分だったらこれはつらいな、など普通の感覚を口にすることが、受け入れてくださる病院側にとってもとても重要で、私にとっても刺激につながっています。
また、学生の中には、なぜあの患者さまは行動制限が 必要なのか問いを投げかけることもあります。精神医療の臨床は、医療以外にも法制度、倫理的な問題など渦巻く場でもあるので、そこで一緒に考えていくこと、それがお互いの成長にとても重要なのです。
また、患者さまも学生との出会いで良い方向に向かうこともあります。そういう意味でも学生は本当にパワーを持っている。そういった学生と出会えることを私も楽しみにしています。